ジャイアンリサイタル

Burn

リサイタルに行って来た。
たくさんの過去のエピソードや彼の思想をミールクランチダイジェスティブ形式にしてきかせてくれたわけだが。
3時間はあっという間だった。こちらはきいて拍手をするだけで終わった。
『リサイタル』だから仕方ないのかな。
誰かとの対話があったり質疑があったりしてもよかったと思った。
せっかく昨晩寝ずに、訊きたい事まとめたのに。うそ。


正直、前から胡散臭いおっさんだなあと思っていた。
ただしそのエネルギーを目前にするとやっぱり圧倒されてしまう。
学生のときに一度講演をきいたときにもやっぱり同じように圧倒された。
同じ感覚。


今の仕事とか今のスタンドポイントに引っ掛かってる魚の骨が約1本、
それと目からウロコが1枚、落ちました。
メモより抜粋
『デザインは付加価値ではない』
『デザインは全体価値を決定付ける』
『デザイナーの予知力による価値創造』
『デザイナーは1番でなければならない』

当たり前だ。こういう姿勢でいきます。

どうでもいいけど、だじゃれが各所に見られたのが気になった。
だじゃれは痛い。言葉遊びは説得するための手段だとは思うけど、
あれでは痛すぎる。


大学のときに、美しい形態をひたすら追い求める授業があった。
1年を通して、何百枚も何千枚もひたすら美しい形態を追ってスケッチをするという。わりと自慰的な感じの授業。
年度の最後に、自分でスタイロを削ってモノを作る事になっていた為
結局自分の手と、ヤスリ・カッター・グラインダーとかの道具を使って
できる範囲のものを頭でかんがえるという暗黙のルールがあったように思う(自分的に。)
ただそのルールでスケッチをいくら続けたとしても、
自分の手で作る事ができないトポロジー形態なぞ出てくるはずはなく、
それこそ和男の世界の広がり壁の無い思考の広がりを象徴してるんじゃないかと思った。
既に紙上で人間が考えられることを超えてる。
何となく。和男の出す形態が美しいっていうわけでは決して無いけど。
その授業を教えてくれたY先生は偶然隣の席に座っていたわけだが。
アデランスの広告に出たY先生。超自然なY先生。
そういうことを考えた。